世界の被災地から東北へ -地震から2年経ったハイチからのメッセージ-
2010年1月12日、ハイチでのマグニチュード7.0の大地震が発生、ピースウィンズ・ジャパンでは、首都ポルトープランスとその近郊で、緊急物資配布と学校再開支援を行ってきました。
この度、震災が起きてから2年が経つハイチからメッセージが届きました。
ハイチの子どもたち
(C)PWJ
2010年1月、ハイチで大きな地震が発生した直後に、PWJはハイチに入りました。
瓦礫や住居の倒壊がひどく、崩れる恐れがあったので、人びとはみな、家々から出て、夜はずっと道端で休んでいました。
東日本大震災と同じように、ハイチでも多くの人びとが多くのものを失っていました。
PWJは日本からの緊急支援として、当初は瓦礫を片づけるための工具やテントを配ったり、被災した学校の校舎を建て直したりしてきましたが、あれから2年が経っても、まだまだ崩れている家もありますし、公園や広場でテント暮らしをしている人びとは50万人以上もいます。仮設住宅が早い段階から建てられていった日本とはだいぶ違う状況があります。
ハイチはカリブ海に浮かぶ島です。西半球の中で最も貧しいと言われ、地震が起こる前も、清潔な水や、安心して住める住居、誰もが学校へ通える状況からは遠い生活をしていました。政府の機能は日本よりもずっと弱いですが、それでもみんないきいきとしていて、素晴らしい音楽や力強い絵などハイチ独特の文化もたくさんあります。
私自身は、東日本大震災が起きてからの1ヶ月間、東北地方で支援活動をして、2011年4月にハイチに赴任しました。2つは別の場所で別の時に起こった災害ですが、どちらでも同じように心動かされるのは、被災された人たちがもっているそのたくましさです。すごく困難な状況のなかで、前を向いて歩みを進めていらっしゃる方々に会いました。一方で、地震から2年が経つハイチでは、より声の小さな人、より目の届きにくいところほど、十分な支援が届いていないことを感じながら活動をしています。
私が東北にいたあのとき、私の今の同僚たちは、たくさんのハイチ人から心配の声をかけてもらったそうです。ハイチ地震のときに日本から送られてきたノートや文房具で勉強していた小学校では、みんな自分に何ができるかを考え、「ぼくたちは日本のためにお金を送ることはできないけれど、祈ることはできるから、みんなでお祈りをしよう」と言って、小さな手を組んでお祈りをしてくれたと聞きました。
祈ることは、直接的な支援には結びつかないかもしれません。でも、どんなことでも、自分たちにできることは何かと考えること、想像力を広げることこそが、本当に大切なのだと思います。今、学校再建事業に携わりながら、当時の小学校を訪れると、私が東北にいたあの瞬間に、この教室で子どもたちが東北に向けてお祈りしてくれていたんだと、感じることができます。
学校建設地のモニタリング(左)、完成した校舎(右)
(C)PWJ
配布した教科書で勉強する子どもたち
(C)PWJ
今回は地震というつらい事態を、日本とハイチは共有しました。でも、世界には、今この瞬間にもさまざまな困難があり、貧困や紛争、災害でつらい思いをしている人びとがたくさんいます。まだまだやらなければならないこと、できることがあります。どうかハイチにも日本にも、継続したご支援をお願いします。
PWJ佐久間(左から2番目)
(C)PWJ
(PWJハイチ駐在 佐久間 隆)