東日本大震災 こどもの心のケアプロジェクトに参加して
子どもたちの笑顔や笑い声が1秒でも長く続く日が早く来ますように・・・
『ね~ こんなに手を伸ばしてもお空に手が届かないよ。でも、雲ならつかめるかなぁ。』
『知らないの?雲とお空はくっついているから、雲だって飛行機に乗らないとつかめないんだよ。』
無邪気な子どもたちの会話がサイレン音やいまだに続く余震によって一変します。
『津波だー。逃げろー。』
『こわい、こわいよー。』
『ねぇ、次はここまで津波がやってくるの?逃げられないの?』
小さな体が恐怖で震える状況が続いていました。
地震があまりにも怖くて、丘へ一目散に逃げて助かった中学生がいます。
彼は『みんな逃げろ。津波がくるぞ』と一言も発せずに、ただひたすら逃げた自分を責め続けています。
全国から集められたおもちゃ箱を持参すると、降ろす前から奪うように取り合い、
「これはどうやって遊ぶの」
「本当に全部もらっていいの」
「なんでこんなにおもちゃがあるの」
「どうやって運んできたの」
「誰が用意してくれたの」
などと私たちを質問攻めにする避難所もありました。
逆に子どもたちよりも大人が、「子どもたちが見たらどれほど喜ぶだろう」と興奮を抑えきれず、おもちゃを一つ一つ取り上げては歓声をあげるところもありました。
ボランティアで勉強を教えにきている大学のチームからは、「電気も何もない中で勉強し、息抜きに遊ぶこともできずにいたけれど、一緒に遊べるおもちゃがきたおかげて子どもたちが活き活きとしだし、助かりました」と声をかけていただきました。
嬉しそうにボールを抱えて、将来はサッカー選手とはにかむ男の子。
じゃんけんで順番を決めパズルやぬりえを選ぶ子どもたち。
次はこれ。その次はあれで遊ぶんだ。と飛び跳ねる子。
どれから遊ぼうかと迷いに迷って、時間が止まってしまった子。
もらったおもちゃを次々に指さしては、これもあれも流された家に全部あったんだとみんなに自慢してまわる子も。
その場が笑顔に包まれ、冷たい外気も上昇します。
それでも30分後には、取り合ったおもちゃを名残り惜しそうにおもちゃ箱にそっと戻します。
みんなにもらったものだから、みんなで遊ぶために。独り占めしちゃいけないと。
もっともっと、もらったおもちゃで一緒に遊びたいと駄々をこね続けてたのが、車の中の積んだおもちゃ箱を見て、他のお友達にも届けてほしいから次に来てくれるまで待ってる。と歯を食いしばってた子。
はしゃぎたいだろうに、避難所の脇で大人たちの迷惑にならないよう口に手をあて叫び声をあげないようにブロックを積み上げる子。
運動場の自衛隊のテントに気をつかいながらボールを投げる子。
その健気さに胸が締め付けられる思いがします。
子どもたちが子どもらしくいられるように。無邪気に遊ぶことだけにただただ夢中になれるように。そんな日が来るのは遠いかもしれません。心の奥底に刻まれた傷を癒すにも長い時間が必要でしょう。
ただ、そんな日が早く来て、子どもたちの笑顔と笑い声が1秒でも長く持続できる日がくることを願い、今後も継続した息の長い活動を忘れず、みんなで被災地の方々を守り支えていきたいと感じました。
(ボランティア Oさん)
活動報告、ボランティア体験談に掲載の記事も合わせてお読みください。
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